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大知波峠 廃寺跡 [遺跡・史跡]

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 浜名湖北西部、南北に連なる湖西連峰に所在する大知波峠(おおちばとうげ)廃寺跡、
 
かつては遠江と三河の国境にあり、峠の尾根からは浜名湖が見通せます。
 
 
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 大知波峠廃寺は、平安時代中頃の10世紀中頃に建立され、11世紀前半にかけて
 
伽藍が整えられ、11世紀末に廃絶されたと考えられています。
 
調査の結果により、平安時代中期の特色ある寺院跡であることから
 
平成13年(2001年)に、国の史跡として指定されました。
 
 
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箱根町一番地 [遺跡・史跡]

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 今から約3千年前に起きた神山の水蒸気爆発によって、神山の北西部が崩れ、
 
仙石原を流れる川が堰き止められて誕生したとされる、神秘的で美しい[芦ノ湖]
 
 
 
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神奈川県足柄下郡箱根町一番地、芦ノ湖畔に140年の時を経て復元された[箱根の関所]
 
元和元年(1619年)、徳川幕府によって西国に対する江戸の防備と治安維持の為に
 
当時、東西第一の主要幹線道路である東海道に設けられた関所で、江戸在住の
 
諸藩大名や奥方等をはじめとし、江戸に出入りする人々を厳しく取り締まった。
 
 
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旧見付学校 [遺跡・史跡]

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 後れ馳せながら、新年明けましておめでとうございます。
 
昨年は拙い田舎ブログに、ご訪問下さり有難う御座いました。
 
何とか時間をつくり今年も出来る限り記事を投稿いたします。
 
引き続き宜しくお願いします。
 
 
 
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 静岡磐田市見付に所在する[旧見付学校]の開校は、明治5年(1872年)の学制発布を受け、
 
翌年8月に[宣光寺]や[省光寺]などを仮校舎として開校しました。
 
 
新校舎の建築工事は明治7年(1874年)10月に、名古屋の堂宮棟梁9代目伊藤平左衛門に
 
委託し着手、翌年1月11日に上棟式を行い、8月7日に落成し開校式を挙ました。
 
現存する日本最古の洋風木造小学校校舎で、国の文化財に指定されています。
 
 
 
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 代々淡海国玉神社の神官を務めてきた大久保家の13代[大久保 忠尚]は、国学の祖
 
[賀茂真淵]のながれをくむ幕末の国学者であり、私宅で私塾を開き近隣子弟の教育に努め
 
元治元年(1864年)4月に[磐田文庫]を創設、多くの門下生等が利用していました。
 
 
 
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※いつもご訪問有難う御座います。
 
皆様のブログにお邪魔しコメントを致しておりますが、1/4からエラーにて反映されません。
 
nice!をいただいた方々にご挨拶を致したいのですが、やむおえずここにお詫びいたします。
 
 
 
 
 
 

 

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旧赤松家邸宅 [遺跡・史跡]

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 入り口のフランス積みといわれるレンガ造りの門が目を引く、静岡磐田市見附の
 
[旧赤松家]は、近代日本造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を
 
開拓した[赤松 則良]が、明治20~30年に建築した邸宅跡です。
 
 
 
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 則良は咸臨丸乗組員や、オランダ留学で造船技術を習得、また幕臣としても活躍し
 
明治時代に勲功により男爵を爵位され、後に海軍中将まで昇進しました。
 
 
内藏は、写真絵画・陶芸・書等の作品発表の場所として展示スペースとして開放しています。
 
 
 
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大井川川越遺跡 [遺跡・史跡]

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 東海道53次の23番目の宿場[島田宿]・大井川は江戸時代、幕府より架橋や渡船を
 
禁止されていたため、川越人足達の手をかりなければ渡る事が出来ず、増水により
 
川留めになると旅人達は、水が引くのを何日も待つことが有り東海道最大の難所でした。
 
現在、当時の町並みを復元保存し江戸時代の情緒を残しています。
 
 
 
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[島田宿大井川川越遺跡]2km程北、島田市稲荷の大井川土手沿いに
 
郷愁を誘う赤レンガの建物群、[北河製品所]が佇んでいます。
 
大正5年に竣工し、明治29年にメチルアルコールの製造を開始、
 
その後アセトンやニトロ、昭和になって航空機塗料が専門の化学系工場。
 
工場敷地内は立ち入り禁止の為入れませんが、過去には映画撮影にも使われました。
 
 
 
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ヒラシロ遺跡 [遺跡・史跡]

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 ここの所、休日は天候不順と雑用が重なり、撮影行脚も儘ならぬ不運続きでストレス過多・・・・
 
貴重な時間を裂き息抜きのドライブがてら、浜松市から国道152号線を北上し横山で左折、
 
天竜川支流の横山川に沿って[熊・東栄町]方面へ・・・・・
 
 
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 平成4年1月に柴地区の八王神社南側で工事中に発見された[ヒラシロ遺跡]は、
 
縄文時代中期の終わり頃(約4500年前)とみられ、市内では初めて北遠でも
 
貴重なものとして、浜松市の文化財に指定されました。
 
 
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奥浜名の春 [遺跡・史跡]

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 徳川家康によって、慶長6年(1601)に創設されたといわれている[気賀関所]は、敷地547坪(約1805㎡)で、
 
裏に竹林117坪(396㎡)、東側に冠木門を要し、この門わ入り正面となる北側には、旅人を調べる本番書、
 
南側に相対して牢屋の設けれている向番所、その南に遠見番所、西側は町木戸門で気賀宿と接していた。
 
静岡浜松市北区細江町気賀の[気賀関所]は平成元年度(1989)の
 
故郷再生事業により、現存する資料を基に再建し、現在地に再現しました。
 
 
 
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 [猪鼻湖]は、浜名湖の北西部の支湖で、大崎湖とも呼ばれ面積5.5k㎡
 
周囲12kmで猪鼻瀬戸で浜名湖に通じています。
 
 
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浜名湖と猪鼻湖をつなぐ 猪鼻瀬戸にある、猿田彦命を祭る[武内猪鼻湖神社]は、
 
赤く小さな橋が印象的で、周囲と調和した景観が楽しめます。
 
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新居関所 [遺跡・史跡]

早いもので2013年も残すところ後数日、皆様方の暖かいコメントやNiceに支えられ
 
継続す事が出来ました。本当に有難う御座いました。
 
今年最終記事となりますが、新たな年も引き続き宜しくお願いします。
 
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 静岡県湖西市新居町に所在する[新居関所」は、江戸時代には[今切関所]といわれ
 
江戸防衛を目的として、慶長5年(1600)に設置されました。
 
当初は浜名湖の、今切口に近い位置に有りましたが、元禄12年(1699)・宝永4年(1707)と
 
度重なる災害により、7年間に西北方向に2度移転しました。
 
現存の関所建物は安政2年(1855)から、5年かけて建て替えられたものです。
 
 
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 関所西番所は、東海道を往来する旅人を取り調べる、関所役人が控えていた建物です。
 
 嘉永7年(1854)の地震で倒壊した為、安政2年(1854)に再建されました。
 
明治2年の関所廃止後、明治6年から大正5年まで小学校として、その後昭和26年まで
 
新居町役場庁舎として使用され、全国で唯一現存する関所建物として
 
昭和37年に国の特別史跡に指定され、大切に保存し公開されています。
 
 
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[旅籠紀伊国屋]が、新居宿で営業を始めた時期は、定かでは有りませんが、
 
元禄16年(1703)に、徳川御三家の1つ紀州藩の御用宿となっており、
 
正徳6年(1716)に、紀伊国屋の屋号を掲げました。
 
昭和30年代に廃業するまで、約250年間に渡り旅館業を続けました。
 
明治7年(1874)の大火により焼失、2階建てに建て替えられました。
 
 
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蜆塚遺跡 [遺跡・史跡]

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静岡浜松市西側の小さな湖、佐鳴湖(さなるこ)東岸の三方原台地に位置する

蜆塚(しじみずか)遺跡は、縄文時代(約3、000~4、000年前)の木の実や

狩り・漁によって食料を得た時代の集落の跡です。

この集落跡は、周囲に4ヶ所の貝塚が有り、20数軒の家の跡や

30ヶ所程の墓が発見されています。

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賀茂真淵は元禄10年(1687)3月4日遠江国敷智(ふち)郡浜松庄伊場村(現浜松市東伊場)

に加茂神社の神官、岡部政信の三男として生まれました。

真淵は青年期までは遠江で過ごし、松浦国頭・森暉昌らに学び国学を開眼しました。

31歳頃から、伏見の荷田春満の元に遊学、春満没後は江戸に出て

8代将軍徳川吉宗の次男、田安完武に仕えました。

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真淵の学績は万葉集を研究し、国学を確立した事で、[冠辞考][万葉考][国意考]等の

著述を残すと共に、歌人としても優れ万葉風の和歌を復興し、1、000首

程の和歌を詠みました。

教育者としても秀で、伊勢松阪の本居宣長(もとおりのりなが1730~1801)

始め、340名余りの門人を育てました。

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賀茂真淵の取り組んだ国学とは、[古事記][日本書紀][万葉集]等の日本の古典を

研究することによって、儒教や仏教渡来以前の日本人の物の見方や

考え方を明らかにし、そこに日本人の生き方を見出そうとした学問です。

古言によって古意を知り、古意によって古道を明らかにしてゆくもので、

風化しつつある日本人の心を呼び覚まし、日本人の本性を

大切にした生き方を、呼びかけているように思います。

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金谷坂の石畳 [遺跡・史跡]

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江戸時代、幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠

の坂道を、旅人達が歩きやすいように山石を敷並べたものと言われています。

近年僅か30mを残す以外は、全てコンクリート舗装されていましたが、平成3年に町民

約600名の参加を得て実施された[平成の道普請]で延長され、430mが復元されました。

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石畳の上り口にある[鶏頭塚]の裏に位置する[庚申堂]は、江戸時代の大盗人

日本左衛門が、ここを夜働きの着替え場所としていたと言われています。

坂道の途中の[すべらず地蔵尊]は、平成3年の町おこしの際に、滑りやすい金谷坂の

すべらない守りとして、町民の手による木彫り双身のお地蔵様を祀り安置しました。

毎年受験シーズンになると、多くの受験生が訪れます。

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お茶の郷博物館

[お茶の郷]は平成10年4月に、旧金谷町がお茶に関する様々な

情報発信の拠点として建設しました。

世界中のお茶について楽しく学べる博物館で、国内外から

収集したお茶や茶器等が多数展示されています。

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博物館の裏手にある茶室や、京都伏見奉行屋敷の[鎖の間]

等は細部にわたり忠実に復元しています。

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静岡県の中部を南北に走る大井川鐵道は、名鉄グループの私鉄で

大井川本線と井川線(南アルプスアプトライン)を有し、1976年(昭和51年)に日本で

初めて蒸気機関車の動態保存を始めた鉄道で、現在でもほぼ毎日運転されています。

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由比本陣公園 [遺跡・史跡]

静岡市清水区由比の由比宿本陣跡で、屋敷の広さは1、300坪もあり大名等が休泊した

母屋は明治元年に解体されましたが、本陣跡として今日まで伝わりました。

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[御幸亭(みゆきてい)]は、明治天皇が三度小休された本陣の離れ屋敷で茶室[結仁斉]や

水屋等を備えた伝統的な和風建築で、由比本陣記念館として復元したものです。

隣接する広重美術館は浮世絵師[歌川広重]の作品を中心に展示している他

江戸期の由比の生活や街道の様子知る資料が展示されます。

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由比の歴史に触れたり観光情報の発信や地域のふれあいの場として

利用できる施設の由比宿交流館

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長い水路状の壕(幅1m、東西20m)は馬の水呑み場と言い

大名行列の馬に水を呑ませたり身体を洗ったりしたところです。

屋敷の前の道路に、このような施設があるのは他の宿場の本陣には

余り類例が無く珍しいものです。

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明治4年3月郵便制度の創設により、それまで文書の送達を行っていた

飛脚便は、由比郵便取扱所となり、その後明治8年1月

由比郵便局と改称されました。

明治39年5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、

明治41年にここに移転しました。

この局舎は昭和2年7月まで使用され現在は平野氏私宅となっています。

右は江戸時代の軍学者であり兵法家の[由比正雪]の生家といわれる

[正雪紺屋]は、江戸時代より18代続く今も現役の染物屋で

由比家は代々本陣職を勤めた古い家柄です。

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東三河ふるさと公園 [遺跡・史跡]

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愛知県田原市浦町の標高250mの蔵王山頂には大きな一機の風車、

屋外テラスと室内展示室に分かれた展望台が有ります。

昼間は三河湾や太平洋が一望でき、夜間には眼下の渥美半島の灯りと

夜空の月星の素晴らしい夜景を楽しめます。

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田原市 吉胡(よしご)町の[吉胡貝塚]は、蔵王山南麓汐川河口左岸に位置し

縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚遺跡で、1992年10月と翌年3月に

行なわれた発掘調査で、302体の縄文人骨が出土し有名になりました。

平成19年(2007)11月、吉胡貝塚資料館・貝塚平面展示室・貝塚断面展示施設や

体験広場からなる史跡公園が整備され公開されました。

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平面展示室は、貝塚をそのまま保存処理し、ハマグリ・マガキ・等の貝類や

猪・シカ等の骨や土器の破片が発掘されたままの状態で見学出来ます。

断面展示施設は、5体の縄文人と2体の縄文犬の埋葬状況を

模型で再現しています。

当時犬は狩に欠かせない存在で、他の動物と異なり家族の一員として

人と同じように丁寧に葬られています。

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御油神社

社伝によると、文安元年(1444)熊野族の稲石蔵光朝、紀州本宮より

当地に移り御油城を築き、若一王子権現を祀ると記述されています。

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御油町の豊かな自然の中、郷土に親しむ公園として平成18年に

[東三河ふるさと公園]が開園しました。

毎月自然と触れ合う観察会も開催され、四季折々の花木や生物を

楽しみつつ散策でき、故郷の文化や自然を体感出来る公園です。

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軽便鉄道 駿遠線 [遺跡・史跡]

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日本一長い(64.6km)軽便鉄道だった駿遠線(すんえんせん)は

東海道本線袋井駅から南に浅羽平野を抜け小笠、榛南(はいなん)の

沿岸部を通り藤枝に至りました。

大正元年中遠鉄道を設立し、大正3年1月11日袋井から新横須賀間に

軌道を敷設し、軽便鉄道を開通させました。

その後 新三俣(17.4km)まで延長し、昭和18年に5社が合併し

静岡鉄道となり、昭和23年に藤相鉄道(31.9km)と直結し

静岡鉄道駿遠線(すんえんせん)と改称しましたが、その後の

モータリゼーションの発達と共に逐次廃止され昭和45年

7月31日全線廃止となりました。

(軽便鉄道とは一般的な鉄道より規格が低く安価に建設された鉄道)

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掛川市山崎の浄土宗 景江山撰要寺(せんようじ)は、徳川家康の命により

大須賀康高が武田勢(高天神城)攻略のため、現撰要寺の地に

布陣して高天神城を攻めたといわれている。

天正6年家康の命を受けて康高は横須賀城の築城をはじめ

天正8年に完成し初代城主となり、翌年9年に撰要寺を創建した。

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横須賀の町並

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二川宿本陣 [遺跡・史跡]

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愛知県豊橋市二川町(ふたがわ)

東海道53次の33番目の宿二川、旧東街道筋に2箇所しか現存していない

本陣の一つが二川宿本陣で、非常に重要な建物といえる。

二川宿本陣は文化4年(1807)より明治3年(1870)の本陣廃止まで

本陣職を務めていた馬場家の建物で、何度も改築が行われ、

安政2年(1855)には総建坪233坪半となり、本陣として最も整備され

今も当時の姿をそのまま残している。

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上段の間は大名や公家などが宿泊する部屋で、他の部屋より

一段高くなっている。

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資料館内には沢山の雛人形やつるし雛が展示されていた

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奈良時代の僧、行基により神亀4年(727)に創建されたといわれる

高野山真言宗普門寺  山号は船形山(せんぎょうさん)

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鐘楼門、観音堂、と大師堂

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普門寺脇から神石山自然歩道を登り山頂へ行く途中、鎌倉古道の

発掘調査を行っていた。

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磐田旧見附学校 [遺跡・史跡]

静岡県磐田市にある旧見附学校は、明治8年(1875年)8月7日に落成し開校した。

新築された校舎は基礎石垣積みの上に建てられた、現存する日本最古の

木造擬洋風校舎で、現在は教育資料館として開館している。

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内部は校長室や昔の授業を再現した教室、2階は明治から昭和に

かけての玩具おもちゃ類、3階には当時の民具が展示されている。

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東福山西光寺

文永2年(1265)真言宗の傾木和尚(けいぼくおしょう)によって

創建されましたが、弘安年間(1280年頃)この地を訪れた

時宗の開祖、証誠大師一遍上人(しょうじょうだいし いっぺんしょうにん)

を迎えて改宗し、時宗の修行道場となった。

阿弥陀如来がご本尊

この総ケヤキ造りの門は徳川家康公が中泉村(現磐田駅南側)にあった

別荘の表門を移築したものと伝えられている。

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山門を潜ると右側にクスノキの巨木がある。

樹高18m、根周り13.7m、胴回り7.5mで樹齢500年の大樹

昭和57年(1982)11月磐田市の天然記念物に指定される。

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三ヶ野坂には鎌倉時代から平成にかけて幹線がこの付近に集中

していることから三ヶ野坂の七つ道と呼ばれている。

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旧赤松邸 [遺跡・史跡]

静岡磐田市見附 旧赤松邸

赤松則良は天保12年(1841)幕臣 吉沢雄之進の次男として生まれ

祖父の跡を継いで赤松姓をなのった。

安政5年(1858)日米修好通商条約が締結されると、則良は勝海舟らと

共に咸臨丸で批准書換の使節団に随行、文久2年(1862)オランダ

留学し造船技術を学んだ。

大政奉還後、徳川家に縁のある見附(現・磐田市)に移住、その後則良は

勝海舟の勧めもあり明治新政府に仕え、明治20年(1887)海軍

中将男爵となり大日本帝国海軍の拡充、強化に貢献した。

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  赤松則良の銅像と内蔵

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北土蔵(米蔵)と内部

赤松登志子は明治4年(1871)赤松則良の長女として生誕

明治22年(1889)2月森林太郎(鴎外)と結婚、翌年9月

長男於莬(おと)を出産し、同年離婚

明治32年(1900)28歳で病死

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旧赤松家記念館には旧赤松家に関する文化財や寄贈資料等を展示

咸臨丸は幕府の船として始めて太平洋を往復した 、勝海舟を船将とし

中浜(ジョン)万次郎や福沢諭吉らも乗船していた。

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代官屋敷 黒田邸 [遺跡・史跡]

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静岡県菊川市下平川の 長閑な田園地帯にあり周囲を水壕で

囲まれた黒田家は代々武家で 永禄年間(1558年)

現在地に移り、江戸時代には四千石の旗本、

本多日向守の代官であった。

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 P1282080.jpg  P1282072.jpg   P1282075.jpg

日坂宿で一番西に位置する旅篭屋[川坂屋]、日坂宿では江戸時代の

面影を残す数少ない建物の一つである。

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 旧東海道と国道一号線バイパス

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高札場

幕府や藩の定めた禁令を板札に墨書きしたものを高札

その掲げられた場所を高札場という。

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豊田佐吉記念館 [遺跡・史跡]

豊田佐吉は慶応3年(1867)2月14日遠江国山口村(現在の静岡県湖西市山口)

に生まれ、小学校卒業すると父の大工仕事を手伝いながら

世の中の役に立つことを夢みて、その生涯を発明につくした。

その夢は織機・紡織の機械や自動車産業へと拡大し

日本の産業を大きく発展さた。

[障子をあけてみよ。外は広いぞ]

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母屋と展示室の主要展示品、豊田式木製人力織り機、糸繰返機、

木製混製動力織機、G型自動織機

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佐吉の生まれた家は、江戸時代後期に東側の竹薮のところに建てられ

その家で、後にトヨタ自動車を創設した

佐吉の長男、喜一郎もここで生まれた。

明治時代の終わりに、近くの古見(こみ)というところに移り

昭和49年(1974)まで残っていたが

平成2年(1990)10月に、昔と同じに復元した。

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ロウ細工のような透明感の蠟梅

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気賀関所 [遺跡・史跡]

東海道三大関所の一つ[気賀(きが)の関所]は、静岡浜松市北区細江町気賀

に所在し、慶長6年(1601年)に徳川家康によって創設されたといわれている。

関所の目的は[入り鉄砲に出女(でおんな)]と言われたように

鉄砲が江戸に持ち込まれることや、人質として江戸に住まわせていた

大名の妻子などが国元へ逃げ帰るのを監視するのが主要な任務でした。

平成元年(1989年)に現存する資料をもとに元の場所から

600m離れたこの場所に再現したものである。

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東側の冠木門(かぶきもん)

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本番所と中の間、上の間

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牢屋の在る向番所(むかいばんしょ)と遠見番所(とうみばんしょ)、西側の門

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細江町を東から西に横断していた街道を、東海道本坂越または、

本坂街道・姫街道とよばれていた。

資料館内部には、当時の駕篭や姫様道中の版画、宿札、手形など

関所や宿場に関連した資料が展示されている。

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蓬莱橋(ほうらいばし) [遺跡・史跡]

静岡県島田市の1級河川、大井川の河口から12.4kmに架けられた蓬莱橋(ほうらいばし)は

全長897.422m、巾2.7mの木造橋で平成9年12月30日に

[世界一の長さを誇る木造歩道橋]としてギネスブックに認定された。

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水の神・彌都波能売神(みつはのめのかみ)

土の神・波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)

太陽の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)

御祭神が共に女神様であらせられることから、昔から安産の神、

女性や子供の守護神として幅広く信仰されている。

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県指定無形文化財で日本の三代奇祭の一つ、島田の帯祭りの[大奴]像と

島田鹿島踊りの先導[三番叟]像と再建された江戸時代風の常夜灯

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 東海道島田宿大井川川越遺跡

当時水量で川越しの料金を決めていた川会所(かわかいしょ)や川札を換金する

札場、川越人足の集会所である番宿などが復元保存されている。

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